ベージュ、グレー、グレージュ、ベージュ。

「うっすらとファンデをはたいて眉をひき、アイシャドーと口紅を差す程度」。
一口に薄化粧と言っても幅の広いものだけれど、私はそんな感じで済ませるようになって久しい。

もはや、いつからかは忘れた。とにかく私は「歳も歳なのでスッピンもキツかろう」と考えるようになっていた。見目からして好ましくないというのもあるけれど、皮膚機能的にも心配なところがちらほらとあった。目下、日除けも兼ねての薄化粧を励行するに至る。

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(写真:lorempixel

どこからどこまでを薄化粧と定義するかは諸説あるだろう。その中で、私はこう思う。「昼休みと退勤前に『お直し』するまで大規模には崩れない程度」「石鹸を使えば一発で洗い落とすことができる程度」これらをそこそこに両立するのが、私にとっては理想の薄化粧だ。

泡立てた石鹸で顔を洗ったらオールインワンを銘打つ保湿剤(ちふれ)を塗り広げ、肌の手入れは5分としない内に終わる。化粧水だの乳液だのを順に塗り重ねたりするマメさのない私は、限りなき横着を働く。翌朝起きたら水だけで顔を洗い、同じ保湿剤を下地代わりとして塗り直す。「スキン・スタート!(最近、荒木飛呂彦先生の『ゴージャス☆アイリン』を読んだ。面白かった)」なんて声は上げない

現代日本に於ける「化粧」に込められる意味合いというのは、おそらく災厄から身を守る「戦化粧」か、社会の中に身を潜めるための「迷彩」のどちらかで、私の場合は後者かな、と思う。「弱点を隠し精神的な守りを固める」点では成功している。けれど、数ある化粧品から自分で使う物を選び出す工程など、諸々の事物に疲れてしまった一人の女性としては酷く面倒で、億劫で、段々好きでなくなりつつもある。「どんな化粧をしようか」というより「いかに安く上げるか」だったりする。果ては「化粧をするかしないか」という選択肢にまで意識が低下していた時期もある(事実、私はついこの間まで半年ほど、仕事のある日でさえ化粧をサボった!)。

何なら今でも、天下の往来にキッタネェ素顔を晒したって構わないつもりだが、「普通の勤め人」を演じる以上、周囲に群れる「普通」に同調する必要がある。隈を隠し、肌荒れを宥めすかし、見た目の上では「普通」のコンディションを演じなければならない。そして、同調には保護色を選ぶのが早い。浮かないということは目立たないということ。店の売場で選んだ「保護色」は、見事に顔に馴染んだ。オンもなく、オフもなく、TPOも問わない。服に合わせてあれこれ迷うことがない。「目許で迷ったらグレージュ」は布教したいと思った。

日付の変わる前、昨日という一日を、私は私が造った顔をかぶって生きた。
ベージュとグレー、そのはざまのグレージュなんかを選び出し、あくまで曖昧に。

もう流行色だとかキレイ色だとか、知らん。

3 よいよい

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