散華抄(さんげしょう/2013/ft. GALACO)派生作品のご紹介と解説

遅れ馳せながらご紹介させて頂きます。


[2016-06-13]やーまPによる制作・投稿

「アイドルマスターシンデレラガールズ」のキャラクター・鷺沢文香による人力VOCALOIDカヴァーの報を知りました。

【あとがき】中野有香よ大志を抱け!! / 散華抄 【人力VOCALOID】
http://ch.nicovideo.jp/yamagoya/blomaga/ar1030687


[2014-07-28]kdddさんによる制作・投稿

VOCALOIDライブラリ「KAITO」によるカヴァーの報を知りました。


本当にありがとうございました。

あの曲を動画として投稿したその日は、自身の実力に合わない怒涛のスケジュールで、イベントにサークル参加するのも初めてだったこともあり、ただただスペースの設営、頒布、撤収と駆け抜けるのに夢中でした。そうこうしている内に、完全に機会を逃してしまって。申し訳ありませんでした。

折角なので、遡り当時を振り返りつつ、構想に至るまでの心境など、誰が得するやらわからない情報を一挙に提供させて頂くことにします。


[2013-10-19]原曲「散華抄」

音源配布中(要登録):http://piapro.jp/t/B4mb
歌詞配布中(要登録):http://piapro.jp/t/GrWo

意訳:「いつか終わってしまう歴史」に愁えても、悲しみに翻弄されない心の在りようを描きたい。いつか目標は果たせるだろうか?

歌詞の原型というか、構想のメモがこんな感じの内容でした。先に形成していたメロディに当てはめるために、かなり大胆に、抽象的な方向へと落とし込んでしまったことがおわかり………頂けそうもありません………(頭抱え)

私達はどこかで、必ず曲がり角を下り、老いを知り、衰えていくものです。最後には誰もが生命の終わりを迎えます。人はそれを「死」というそうです。皆はそれを恐れたり、嘆いたりします。私もその過程の中に在るのだということを、生まれてしばらくして知りました。悲観が入り混じる時も、孤独に苛まれそうになる時も、心を乱さない強さをください。

たとえこの遺伝子が絶えても、歩んできた道が残りますように。私の綴る唄(それは詩であり歌かも知れない)が、誰かの記憶の中でそっと生き続けますように。

私を見つけてくれた人がいる、その奇跡が幸せでした。誇りでした。そのどれをも失ってしまうこと、心から恐れています。すべてが終わってしまう前に、伝えさせてください。この声が届く限り、歌わせてください。誰にも届かなくなってしまうぎりぎりまで、歌わせてください。

当時は「神様とのご対面」といった感じの場面をイメージしていましたが、なかなかに苦しい内容でした。リスナーの皆様にはどんな風に聴こえていたでしょう。記事でも動画でも、コメントで教えて頂けたら幸いです。


回顧:大揺れの心をなんとか抱えて息をしていた青年期にあって、それは私の唯一の取柄だった。

ちょっとした程度のソングライティング能力。それだけが、私の唯一の取柄です。それだけが、細々ながらも長きにわたり「ミミコP」たらしめてきました。

当時使用していたライブラリの「Galaco」さんは、期限付きの試用版でした。最後はせめて、凄みのあるラストソングを持たせてやりたい………そんな思いから書き下ろした曲です。奇しくも時期が重なり、初めてサークル参加イベントに合わせて制作が決定したコンピレーションCD「VOCALOID★CARNIVAL 03」にも収録されました。

歌詞の中で「あと何度繰返す」と誰となく問いかけるいるのは、私自身の奥底に自ら問い、答えを求めていたから、とも言えます。それが今日にもなかなか知られていないのは、表現者としての力量が不足していたからかな、と反省していること、余談ついでに英語版タイトル候補として「Flowers fall」という仮題を附けていたこと、なんてものを併せて白状しておきます。………「ここだけの話」ということでお願いします。英語での歌詞振りは思うようにいかなかったので、英詩と音源はお蔵入りです。墓まで持っていかねば。

当時は悩み事が山積みで、しかも人生の節目もすぐそこというところまで迫っていました。衰退の予感を匂わせていた「VOCALOIDオリジナル曲」というジャンルで制作活動を続けることにも迷いがありました。私には、私が思っているほどの資質も備わっていないのではないか、単に憐憫と、陶酔と、自己満足のためにソングライティングという行為にしがみ付いていたのではないか、ヒトとして・女として人生を浪費してはいないか………不意に頭をよぎってはぐるぐると駆け巡っていく、そんな日々を鮮やかに覚えています。焦りであり、恐怖でした。生み出す力(表現力)の至らぬばかりに逃れられない石女の、形にできない苦しみでもありました。

靄のかかったようなそんな思考も時間が解決してくれたのか、今ではあらかたの整理がつき、歌詞に与えた自問に対しても結論をつけることができます。何度だって、いつまでだって、綴り続けていけば良いのだと。「私にはこれだけが取柄なのだ」と認められるようになったからでしょうか。それ以外に特別なことなど、誇れることなど何一つないもので………

「凍の梨」のような媼となるまで続けられて初めて、「継続は力」と更に誇れる日は来るのでしょう………でしょうか。

9 よいよい